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2018.04.14 Saturday

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    知り合いブログ

    2006.03.12 Sunday

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      今やブログでしょ。ブログ。自分でもやっておいてなんですけど、猫も杓子もブログですよ。昨年の流行語大賞にもノミネートされてたような気がするし。しかーし、ここでブログ批判をするつもりなどは毛頭ないのです。

      ブログが人口に膾炙して、本当に便利になりました。今や、自宅に居ながらにして、知人友人のその日その日の行動や思いが把握できる。そんな時代。このブログにも、「知り合いブログ」と銘打って友人が開設しているブログにリンクを貼ろうかと思ったことがあるのですが、さて、知人友人がどれくらいブログを開設してるのかなー、とちょっと検索したところですね、芋づる式にものすごい数のブログを発見してしまい、断念したことがあります。みんなやってるんだねー、ブログ。

      そして今ではそれらを少なくとも週一のペースで巡回する日々。

      ああ、ケンタは今年もダンスに打ち込むのか、頑張れよ!とか、とーそん、レーシック手術するなんて勇気あるな、経過が気になるぞ!とか、カルロス、テニス頑張ってるな、いいぞいいぞ、でも最近更新停滞気味だぞ!とか、R三、脱サラして学生になるのか、俺の周りはそんなやつばっかりだな、頑張れ!とか、あてな先輩、気持ちは分かりますが、宇多田ヒカルに突っ込みをいれるのはちょっと大人げないと思います(笑)。なんてね、書き出すとキリがない。

      ディスプレイ越しに、ときに微笑み、ときに悲しみ、ときにツッコミを入れ、ときに励まされながら、おはようからおやすみまでみんなのくらしを見守る日々。

      でも今日、いつものように「知り合いブログ」を巡回しながらふと気付いたのは、これらのブログをエントリしている「知り合い」のみなさんに、最近リアルでは全然会ってないじゃん!ってことなんです。

      なまじこう、「最近どうしてる?」っていう情報を濃ゆーく入手しているせいでですね、数年間リアルで会ってない人とかも珍しくないのに、全然そんな気がしてなかったし、「久しぶりに会おうか?」なんて働きかけをすることもなくなっていた。

      それが良いことなのか悪いことなのかは正直分からないし、善悪の問題ではないという気がするのだけれども、久しぶりにみんなと実際に顔を突き合わせながら、くだらない話でもしてみたくなったというのが、偽らざる心情です。ブログにエントリしてることなんて、その人の100万分の1くらいのことだろうしね。実際は。

      どう?久しぶりに会わない?

      アップルのダイレクトマーケティング

      2006.03.09 Thursday

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        今朝のエントリで、銀座アップルストアに勤務する片川君について少し触れたのですが、只今我が家に帰って来てメールチェックをすると、「Apple Store オンラインセールス担当」の方(片川君ではない)から直接メールを頂戴しており、その内容を噛み砕くと「Apple製品をお求めの際は、次回から私に直接連絡してください。若干おまけが出来ると思います。」というものだったので、ちょっと嬉しい驚きでした。

        もちろん、カスタマーからパーミッションを取った上で、お買い得情報や新製品情報等をメールでお知らせするタイプ(いわゆる「オプトイン?メール」と呼ばれるもの)のマーケティングはかなり成熟、飽和しているし、実際自分もそんな仕事に携わったこともありました。それにしても、1営業パーソンが、カスタマーに対して直接メールを送って、「これからもどうぞご贔屓に」っていうのは初めての経験。この「オンラインセールス担当」の方が、今朝のエントリを見てメールを送って来たかどうかは定かではありませんし、多分偶然のタイミングではあると思うのですが、ダイレクトマーケティングもついにここまで来たかーというのが正直な印象です。それにしても、今期のアップルはなにやら気合いが入っている。


        ついでといってはなんですが、自分はインディーズブランドのTシャツが好きで、その中に、アップルのオフィシャルサイトを秀逸にパロっているものがあるので紹介します。Mac好き、かつ、インディーズTシャツ好きな自分のような方にお勧め。→tPod

        テレ東コンボ

        2005.07.12 Tuesday

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          「ガイアの夜明け」→「WBS」 という流れが火曜日のテレビ視聴のスタイルとして確立されつつある今日この頃なのですが、このテレ東コンボは大抵自分の気を滅入らせる。でもなぜか見てしまう。マゾか。なんだろうなー。いつも何かすっきりしないまま終わるんだよなー。いつも視る前に「知りたい・理解したい」課題みたいなものを自分の中で持ってTV画面に向かうんだけど、結局自分の知りたいポイントに対する回答は得られないまま番組は終わる。

          番組を制作する側には視点のブレが無いというか、確固たるコンセプトの元に番組を作っているのは良く分かる。そういう意味では良質なコンテンツなのでしょう。そのコンセプトと自分の「どうしてこれはこうなってるんだろう?」と感じる視点のズレがモヤモヤの原因なのだと思います。

          いったいどういう風にズレているのか、それが分かるまでしばらく火曜日のテレ東コンボは続きそう。

          久しぶりにヨガを再開。基本のポーズもできなくて、むずかしー!

          やっぱり猫が好きがやっぱり好き。

          2005.04.05 Tuesday

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            昨日(日付け的には今日)の深夜番組「やっぱり猫が好き2005」、やっぱり猫が好きがやっぱり好き。レギュラー深夜枠でやっていた頃、眠い目をこすりながら「ぬるい笑い」に癒されていた日々を思い出したりして。三谷幸喜の作じゃなくても、もたいまさこ、室井滋、小林聡美の「役者としてのプレイヤビリティ」の高さは健在だった。
            しかし、(自分が鈍いのかもしれないけれど)これほど「90年代的」なテイストが現代でも有効だとは思わなかった。「演ずる場」に対するメタな視点。(あらかじめ、これは「劇場空間」ですよという前提を演ずる方が意図的に使っている)アドリブを中心とした流動的な進行。徹底的な口語文法。そういったやり方は、いつの間にか現実の厳しさに寄り切られて「綿密な作り込み」に駆逐されたと思っていたから。
            すごく大雑把に言うと、エンタテイメントが「現実からの逃避」たることを時代状況が要請するようになるにしたがって、クリエイターの都合とか、クリエイトすることの意味とか、クリエイトする側と自分との距離が産み出すものとか、そんなのいちいち考えてらんねーよめんどくせーな。とにかく作り手はしっかり作ってくれよ的な、受け手に「ぬるさ」とか「メタな視点」とかいったものを享受する雰囲気がなくなっていたように思う。
            そんな中で再確認させられた「やっぱり猫が好き」の面白さ。そういう意味では、頭でっかちなだけで内実の伴わないものが駆逐された(これは言い過ぎかもしれないけれど、エヴァンゲリオンの映画に対して分かったふうな物言いを許さず、失敗作だとはっきり言い切れるような風土ができたのは、作り手にとっても受け手にとっても良い環境だと思う)だけで、90年代的文法でできることはまだまだあるのだなと思わされたし、かえって新鮮な気すらした。
            ただし、昔みたいに手放しで面白いと思えない、「ぬるさ」を享受しきれない自分がいたのもまた事実で。その辺の匙加減は難しいな。と。90年代が遺したもののうち、現在でもまだ有効なものとそうでないものをきちんと掘り下げる必要があるとも感じました。

            なんのためにそんなことを考えるのか?という気もするのだけれど。


            今日の体重:63.2kg 今日の体脂肪率:20.0% うわ、ついに体脂肪率20%に。。体重自体は減ってるのだがこれは如何したものか。

            良い言葉メモ

            2005.04.04 Monday

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              自分は無神論者なのですが、法王ヨハネ・パウロ2世死去関連のニュースを読んでいる中で、素晴らしい言葉に出会ったので引用。


              「弱者を保護し、誰も除外することなく、若者を無気力と無関心の危険から解放し、彼らの中に健全なる闘争心を引き起こす、そういったスポーツを振興することを、新たな希望を持って強く勧めたいと思う。スポーツが貧しい国々にとって解放の要素となり、不寛容な気持ちを消し去り、より親密で連帯感のある世界を作るための助けとならんことを。スポーツを通して人生を愛し、犠牲的精神と尊敬の念と責任感とを学び、すべての人間の価値を完全に認められるように」

              これは、2000年10月29日に行われた「スポーツのための千年紀祭」においてヨハネ・パウロ2世の語った言葉です。「スポーツの持つ意義」をこんなにも明確に現した言葉を自分は他に知りません。スポーツを愛する人、スポーツに携わる人全てが心に留めておくべき言葉だと感じました。改めて高潔かつ明晰な魂が偲ばれます。

              メディアについて(下書き)

              2005.03.28 Monday

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                ここんとこずっと考え続けているけれどもまとまらないことをまとまらないままにエントリしてみる。すごく読みづらくなってしまうはずなので、と読み飛ばし推称。

                _______

                TV番組(既存地上波、NHK除く)のつまらなさは、放送側の根本的構造が理由。スポンサードしてくれる企業のためにより多数の視聴者を獲得する必要があるからだ。これだけインターネットのコンテンツが普及した現状では、個人個人にとっての面白さが、 自分の興味関心について深く掘り下げている個人サイト>全方位適視聴者層を意識して作られたTV番組 になるのは当然。これまでは選択肢がなかったに過ぎない。10年以上前にちょっとあった深夜番組ブームは、現在の状況の胎動といえるのかもしれない。

                ただし、一個人にとって、インターネット上に存在するコンテンツの90%はゴミ。内容云々ではなくて、個人が無報酬で作っているサイトが大半だから、興味がない人にとっては本当にどうでもいいサイトばかりだ。しかも、公職なり報道機関なりに所属していない個人が得られる情報というのは「二次情報」でしかないのでどうしても情報の正確性に欠けてしまう。それこそ、「自分の興味関心について深く掘り下げている個人サイト」なんて、全体から見たら本当に微々たるもの。

                ここで、「自分の興味関心について扱っている良質なサイト」に辿り着けるか否か、リテラシーの差が生まれている気がする。単純に検索にかけたり、各ポータルサイトとか、ALL ABOUT JAPAN のようなサイトだけを使っただけでは、コア、かつ良質な情報にはなかなか辿り着けない現状がある。辿り着けたとしても、それまでにかなり無駄な時間を費やすことも多々ある。

                そのため、ポータルサイトは「カスタマイズ」機能を設けて、利用する個人個人の興味に沿った情報を提供しようと試みているが、現状はどのポータルサイトも、個人興味の掘下げが浅すぎるし、絞り込みもきちんと機能していない感じがする。インターネットが「1to1メディア」になるのはまだかなり時間がかかりそう。

                英語の読解力が有るか無いかは本当に大きいと個人的には実感している。「言語の独立こそが文化の独立」だと言ったのは大隈重信だったか西周だったか忘れたが、ことインターネットの世界に限れば、英語の文献を読めるか読めないかでは、情報収集能力に大きな差が出ることは事実。今あるものはものすごく貧弱で使い物にならないが、「英語サイトを自動的に日本語翻訳するソフトウェア」の必要性を感じる。

                PPVの普及が思うように進まず、逆にDVDがすんなり普及したのは(これは肌感覚で書いているので、正確なデータを今後提示しないといけないですね)、これはもう単純に「エロの力」だ。新しい形式のメディアを迅速に普及させるのには、エロコンテンツが充実してるか否かが大きい。 ―というのは、きっとWOWWOWの人もスカパーの人も分かってはいたのだろうけれど― エロコンテンツを「売り」として全面的に宣伝するわけにもいかないという事情はよく分かる。なので、「お金を払ってでもスポーツが見たい!」という層を獲得する戦略をPPV側はマーケティング戦略として立ててはいる。が、計算が立つとはいえ、既存スポーツの人気に依存し過ぎでは?地上波ではオンエア不可能な独自コンテンツ(エロではなくてね)制作に注力すべきではないのだろうか。

                ちょっと疲れたので、一旦この状態でエントリします。でも続いちゃいます。次回は「インターネット時代の報道のあり方について」の予定。


                今日の体重:64.9kg 今日の体脂肪率16.0% なんだか順調過ぎて逆に怖い。

                丹下健三さん追悼

                2005.03.24 Thursday

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                  市川崑のドキュメント映画「東京オリンピック」の冒頭は、競技者の姿ではなく、競技場建設のために巨大な鉄球が古い建物を砕くダイナミックな描写から始まる。日本にとっての「東京オリンピック」が、高度成長の輝かしい象徴であり、新たな世界が創造される瞬間の爆発的に躍動する力の象徴であることを見事に表現した1シーンだ。

                  今日の毎日新聞「余録」は、建築家丹下健三氏の追悼文だった。その最終部分を引用したい。『文明と才能との出会いという一度きりの奇跡をいつでも目の当たりにできるのが建築の魅力というものだ。』見事な文章だと思う。

                  丹下健三氏の作品というのは、日本の高度成長の輝かしい象徴であり、まさに時代状況と不可分なものであったと思う。ともすると、現代の建築家たちは、高度成長時代の日本の建築(そしてその他のデザイン)を否定しがちだ。その背景には、公害や都市一極化といった高度成長時代の負の部分の否定、そしてその後訪れるバブル経済に対する嫌悪があると思うのだが、日本全体が明確な「成長」という意志と希望を持って、鉄球の如き巨大なエネルギーをもって躍動した時代の遺産を、現在を生きる私たちはもっと公平な目で評価するべきだと思う。

                  再び「余録」からの引用『その才能を感得するのに、建築の知識はいらない。東京の国立競技場を改めて訪れてみればいい。高度成長下での東京五輪は、戦後日本が持てた’幸福な時間’だった。そんな時間が見事な力学的均衡によって作られた空間と造形に結晶している』

                  人権擁護法案反対

                  2005.03.24 Thursday

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                    遅きに失した感があるが、この拙ブログを読む人の中で、今国会で可決されそうになっている「人権擁護法案」について知らない人がいたら、ちょっと耳を傾けてほしい。

                    この法案の問題点は、

                    ・「人権」、「人権侵害」、「差別」の定義が曖昧で、解釈次第ではどんな表現であろうと「人権侵害」の烙印を押されかねない点。
                    ・「人権侵害」に当たるかどうかを判断するのが、「人権委員会」というわずか5人の団体である点。
                    ・「人権委員会」の恣意的な判断で、個人に罰則を与えることができる点。
                    ・「人権委員会」を監視する機関が設置されない点。(人権委員会の判断が絶対的なものとして通用してしまう)

                    に集約されると思う。

                    さらに言えば、「これがインターネット以外のメディアではほとんど問題視されていないし、議論もされていない点」「人権委員会に『これは差別です!』と申告する2万人規模の『人権擁護委員』の選定方法が、極めて不透明である点」も加えて論ずるべきだろう。

                    いろいろなサイトを回ったが、このサイトが一番分かり易くまとまっていると思うので、初耳の方は是非訪れてみてほしい。そして、「人権擁護法案」でグーグルないしヤフー!などで検索をかけてみてほしい。

                    「人権を擁護する」というのは、もちろんとても大切なことだ。しかし、この法案について知れば知るほど、「人権擁護」の名を借りた「国家による言論統制」のための法案であるように思われてならない。可決されてしまってからでは遅いのだ。微力ながら、当ブログでも「人権擁護法案」可決に断固反対の意志を示すと共に、この問題について取り上げることで、少しでもこの法案について知らせることができればと考えている。

                    それも誰かの為せる業

                    2005.02.26 Saturday

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                      iTunes をランダム再生にして、ヘッドフォンで音楽を聴きながらネットサーフィンをしていたら、Donny Hathawayのライブ版[Someday We'll All Be Free]が流れてきて、涙がこぼれた。陳腐な言い方だが感動したのだ。その前に流れていた音楽と、その曲が鳴りはじめたタイミングが本当に完璧で、これは(偶然の配列と、多分に現在の精神状態とが関係あるのだろうから)今、ここで、この瞬間にしかあり得ない感動だと、光の速度で理解した。

                      その瞬間を生み出した、Donnyの歌、それを録音した人、iTunesを開発した人、ヘッドフォンを組み立てた人(人かな?)、インターネットで自分の意見を発信する人、人、人、人、、全ての「クリエイト」する人たちがすごい、素晴らしいと思った。

                      自分がどこかで、だれかに、今感じたのとおなじような感動を与えたいと強く思った。さあて、さてさて、自分が「クリエイト」する人になれるでしょうかね?偶然のご加護に期待して「もうなっている」と思い上がるのは簡単。 ―全ては誰かの為せる業なのだから― 自分のなすこと、一挙手一投足、それこそ呼吸のあり方にですら、なにかしら「クリエイト」する部分が含有されていればいいと思う。少なくとも、そこに厳しい審美眼がなければいけないと思うのだ。

                      迷う

                      2005.02.25 Friday

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                        今の会社で勤務を続けたいのだけれど、体がどうも言うことを聞いてくれない。職場復帰はやはり早すぎたのだろうか?鬱を完全に直してからじゃないとやっぱり無理なのかな。。今の会社、まだつとめはじめたばかりなので、辞めたらすごく迷惑かけちゃうんだよね。。などといいつつ、週明けたら、もう会社に自分の席が無い可能性がプンプンする。あー、また無職かー。ガックシ。